「それできみはなにを泣いているんだね」
「泣いてません」
「泣いてるよ。洟をふきたまえ」
「すみません。――こいつとは十年一緒にいたんです。ようやく、こいつが売れたと思ったら、安心して、昨日からなんかおかしくて、――すみません」
洟をかむ甲高い音があがる。
ジョニーはハンカチで何度も洟をかんだ。身なりのいい、痩せた男が呆れ顔でアクトーレスを見ている。
「感激屋のアクトーレスだね。――しかし、ヘマをしてくれたもんだ」
男はおれを見て、またうめき、首を振った。
おれはおれで激しくしゃくりあげていた。
目が醒めた時、おれはまだ箱のなかにいた。
目を開けても真っ暗闇だ。顔のすぐ上に板があった。おれは棺桶に入ったことを思い出し、パニックを起こした。このまま火葬されると思ったのだ。
おれは半狂乱になって暴れ、棺桶の蓋を蹴りこわした。
飛び出た場所は火葬場ではなかった。頭上にはシャンデリアが下がり、足元にはあたたかい絨毯があった。猫足の椅子が優雅に並んでいた。
「なんてことだ、プレゼントが」
男が現れ、おれを見ておどろく。ジョニーも部屋に入ってきた。おれはなにがなんだかわからなかった。
「なんだ、これ。ジョニー、なんだこれは」
「おまえは、その」
ジョニーもわずかにうろたえながら、あごをしゃくった。
棺桶にはメリー・クリスマスのロゴがあしらわれた包装紙がかかっていた。特大の赤いリボンが巻かれていた。
「この家のわんちゃんへのプレゼントだったんだ」
おれは朝まで眠っているはずだった。包み紙をひらくと、花に囲まれた眠り姫のように現れるという演出だった。
だが、薬の効きが弱かった。おれは途中で目覚め、生きながら焼かれる恐怖で箱をぶちこわした。それどころか失禁して花は小便まみれになっていた。
ジョニーはマキシムの主人がおれの所有権をとったのだと教えた。
「なんで言ってくれなかったんだ!」
おれはジョニーの襟をつかみ、わめいた。ジョニーはそれをふせぎ、
「わかってんのかと思ったんだよ。うれしくて腰抜かしてんのかと思ってたんだ」
「ありえないだろう! あんなこわい顔で箱に詰めやがって。黙って薬打たれてなんでわかるんだ――」
「こっちだって感極まってたんだよ! よけいなこと言ったら泣きそうだったんだ!」
「なんであんたが感極まってんだ!」
「この野郎、十年だぞ!」
ジョニーは目を真っ赤にして怒鳴った。
「――十年、おまえの世話をしてきたんだ。情だってうつるさ! この馬鹿なお人よしが、二度もヘマしやがって。もうダメかもしれないと思ったんだ。奇跡が起きて、信じられなかった。神様が奇跡を取り消さないうちに、とにかく早く届けちまおうと――」
おれはジョニーに飛びつき、号泣した。
「うるさいな」
階段から、白い絹のガウンをつけた男がおりてくる。
マキシムだった。彼は大女優のような優雅な足取りで歩いてきた。主人の傍らに来ると、身をかがめてその頬にキスし、
「この汚いのがプレゼント? がっかりだな。返品してもいいですか?」
「こら」
主人がうなる。「おまえがほしいと言ったんだよ。仲良くしなさい」
おれは洟をすすってマキシムを見た。青い目がちらりと見て、
「薬殺されるんじゃ哀れだから、拾ってやっただけだ」
と言った。
彼はつまらなそうに部屋を出て行った。
「あの子がおまえを選んだんだよ」
主人はおれに言った。
「クリスマス・プレゼントにね。おまえならいいと言ったんだ」
彼は召使を呼び、おれに茶を飲ませるよういいつけた。あたたかいミルクティーを飲み、ようやく興奮が鎮まったところで、彼はおれに話した。
「マキシムは今年、二度ほど自殺未遂をしてね」
主人は猫足の椅子に腰をおろして、言った。
「今年の春、ぼくに息子が生まれた。それで、捨てられると思ったんだね。そんなことはないと言ったんだが、とにかくここでは、何もすることがないだろう。彼は思いつめてノイローゼになってしまったようでね」
主人はマキシムの気晴らしのためだけに、べつの犬を買って与えた。だが、マキシムはその犬を徹底的に無視した。犬のほうが弱ってしまい、売り戻さざる得なかった。
主人が腹をたてると、マキシムは二度目の自殺未遂をした。
「彼をもろいと責められない。もろくしたのはぼくだ。完全な男だったものを叩きつぶしてペットにしたんだからね。だが、クリスマスはこまった」
ただでさえ、クリスマス・ブルーの季節である。ドムスに独りで置いておいたら、絶対にまたやる。しかし、クリスマスはどうしても家庭に戻らねばならない。
そこで主人はマキシムを成犬館に戻して、すこしほかの犬となじませようと考えた。ほかの犬といれば気もまぎれるだろう。気に入った犬が出来れば買い受けてやろうと思った、という。
しかし、マキシムは脱走した。
「あれにはぼくも愛想が尽きかけた。愛情をためされて腹がたった。だから、首輪をはずした」
そのおかげで、とかわりにジョニーが言った。
「中庭が大混乱になりました。わたしも投げられました」
主人は優雅に笑った。
「だが、ぼくは責任をとったよ。全員に一番いいかたちで。そうだろう?」
「あ……ア、アワビ――。い、ヒ、い、イクラ――」
マキシムの声がうわずる。彼は耳から受話器を離して喘いだ。
「アッ――くっ、ヒ、ヒロ、やめろ――」
「ほら、ちゃんと注文してくれ」
おれは笑い、彼の鼻先にローマ字で書いた寿司の注文表を押しつけた。
そうしながら腰をさらに突き入れる。ストローのように狭い彼のアナルをずくりと奥にえぐりこむ。
「ヒッ――」
白い背が波打ち、かわいい声がこぼれた。彼は受話器を放し、床に爪をたてた。
「あ、あ……」
「注文しろって」
おれは笑い、受話器をとった。受話器から日本料理屋のスタッフがしきりになにか言っている。
『英語でいいです。わかりますから英語で注文してください』
おれはうっとりとマキシムの背を見下ろした。おれのペニスにぎりぎりまでひらかれた彼のかわいい尻を撫で、幸せをかみ締めた。
主人はおれをドムスに入れると、翌日には故国へ戻ってしまった。
おれはマキシムと残された。
はじめ、彼は愛想が悪かった。
『買ってもらったのは、借りを返したかったからだ。わたしにかまうな』
と、言った。
おれはもちろん無視した。その晩、彼のベッドにもぐりこんで、彼を待った。
マキシムは怒っておれをつまみだそうとしたが、彼はまずいことに絹のガウンを着ていた。おれはその襟をつかみ、ベッドの上に転がし、寝技をかけた。
「柔術ができるのか」
マキシムははじめておれに興味を示した。
「柔道三段、空手二段。剣道初段。おれをびっこだと思ってなめんな。おまえをひっつかまえるのはわけないんだよ」
「おまえ、何をやってたんだ」
「警察官」
そこから会話がはじまった。
話してみると、マキシムは賢いが、素直な、うぶといっていいほどまじめな男だった。モスクワの中流家庭ですくすく育ち、射撃の大会でメダルをとった。そのおかげで軍隊に入って出世した。ますぐに生きてきたふつうの男だった。
差別主義者でもなかった。
「あの時は誰も近寄せたくなかった」
彼はさびしげに言った。
「誰かと親しくなれば、アクトーレスが注進にいって、伯爵が買い取るのがわかってた。そんなことで、ごまかされたくなかった」
語り、胸のうちをさらすほどに、彼の声はやわらかくなった。
おれたちはうちとけた。
数日後、おれが辛抱たまらず、そのからだを組みしいても、怒りはしなかった。真っ赤になって、おれの愛撫にからだを開いてくれた。
以来、バラ色の毎日が続いている。
「ほら、注文。大トロ」
おれは彼の耳に受話器をあて、腰をすこし離した。彼があわてたように手をのばし、おれの足をつかむ。またけなげに頭をもたげ、ローマ字の注文表を読んだ。
「オ、オトロ……は、アは、カッ、カニ――」
長い睫毛がかわいらしい。いつも雪のように白い頬が薄紅色に染まっている。たどたどしい日本語がいとしく、おれの太腿をつかんだ手がひどくいとしかった。
「くッ――アッ」
マキシムは眉をしかめ、喘いだ。
おれは彼の骨盤をしっかりつかんでいた。彼のなかのあたたかく弾力のある粘膜をゆっくりうがち、こねまわしていた。
「やめ――ハッ、あ――」
床におしつけられたきれいな横顔がうろたえる。
おれは彼の泣き所にペニスの先をこすりつけていた。石のように硬いペニスの先が、彼の感じやすい粘膜を執拗に揉む。撫でまわすごとに、彼はうろたえ、ぎくしゃくと腰を浮かせた。
「アアッ――、ヒッ、い、やめッ」
密着した肛門が卑猥な泡をたてている。彼の硬い肛門がほどけていた。おれをぴたりと包み、とろけ、ふるえながら自ら甘美な蜜をすりつけていた。
「ヒロ――」
彼はわずかに首を振った。もう注文できないという。
その首筋は真っ赤だった。床は彼のこぼした粘液で水溜りができていた。
その絶え入りそうな風情に、おれはカッとのぼせた。
ペニスがいっそう硬直し、溶岩のように赤くたぎる。おれは夢中で腰を打ちつけた。
「くッ」
マキシムの白い背がしなる。おれは彼のなかで躍った。跳ね回り、もぐりこみ、あたたかい海をイルカのように飛び回った。
「アアッ――ひろ――アはッ――」
あたたかい海は揺れる藻のようにおれにからみつく。愛撫に泣きながら、千の腕でこちらの背骨を焼き尽くす。
「は。ヒロッ――!」
マキシムの悲鳴。かたい腰を抱きしめると、彼は鞭打たれたように骨をこわばらせた。ビクビクとその骨組みがきしむ。
手が温かいもので濡れる。おれもまた感電し、その内部を濡らした。
(ああ)
全身の細胞がよろこびにふるえた。からだ中が黄金の雨に打たれて溶けていくようだ。
獰猛な快楽の爪から解き放たれ、おれは数秒ぶりに息をした。からだの下で、やはり恋人があえいでいる。
彼はおれを見ていたが、照れたように目をそらした。青い目はうるみ、唇の端には微笑みがあった。
いとしさがこみあげ、おれは彼の首をつかみ、口づけた。
メリー・クリスマス。サンタさん、ありがとう。世界中、メリー・クリスマス!
頭の上で電話がまだしゃべっていた。
『ええと、ご注文、フランス語でも大丈夫ですよ。ええ、エスク ヴ パルレ フランセ?』
―― 了 ――
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