クリスマス・ブルー 第6話


「それできみはなにを泣いているんだね」

「泣いてません」

「泣いてるよ。洟をふきたまえ」

「すみません。――こいつとは十年一緒にいたんです。ようやく、こいつが売れたと思ったら、安心して、昨日からなんかおかしくて、――すみません」

 洟をかむ甲高い音があがる。

 ジョニーはハンカチで何度も洟をかんだ。身なりのいい、痩せた男が呆れ顔でアクトーレスを見ている。

「感激屋のアクトーレスだね。――しかし、ヘマをしてくれたもんだ」

 男はおれを見て、またうめき、首を振った。
 おれはおれで激しくしゃくりあげていた。

 目が醒めた時、おれはまだ箱のなかにいた。
 目を開けても真っ暗闇だ。顔のすぐ上に板があった。おれは棺桶に入ったことを思い出し、パニックを起こした。このまま火葬されると思ったのだ。

 おれは半狂乱になって暴れ、棺桶の蓋を蹴りこわした。
 飛び出た場所は火葬場ではなかった。頭上にはシャンデリアが下がり、足元にはあたたかい絨毯があった。猫足の椅子が優雅に並んでいた。

「なんてことだ、プレゼントが」

 男が現れ、おれを見ておどろく。ジョニーも部屋に入ってきた。おれはなにがなんだかわからなかった。

「なんだ、これ。ジョニー、なんだこれは」

「おまえは、その」

 ジョニーもわずかにうろたえながら、あごをしゃくった。
 棺桶にはメリー・クリスマスのロゴがあしらわれた包装紙がかかっていた。特大の赤いリボンが巻かれていた。

「この家のわんちゃんへのプレゼントだったんだ」




 おれは朝まで眠っているはずだった。包み紙をひらくと、花に囲まれた眠り姫のように現れるという演出だった。

 だが、薬の効きが弱かった。おれは途中で目覚め、生きながら焼かれる恐怖で箱をぶちこわした。それどころか失禁して花は小便まみれになっていた。

 ジョニーはマキシムの主人がおれの所有権をとったのだと教えた。

「なんで言ってくれなかったんだ!」

 おれはジョニーの襟をつかみ、わめいた。ジョニーはそれをふせぎ、

「わかってんのかと思ったんだよ。うれしくて腰抜かしてんのかと思ってたんだ」

「ありえないだろう! あんなこわい顔で箱に詰めやがって。黙って薬打たれてなんでわかるんだ――」

「こっちだって感極まってたんだよ! よけいなこと言ったら泣きそうだったんだ!」

「なんであんたが感極まってんだ!」

「この野郎、十年だぞ!」

 ジョニーは目を真っ赤にして怒鳴った。

「――十年、おまえの世話をしてきたんだ。情だってうつるさ! この馬鹿なお人よしが、二度もヘマしやがって。もうダメかもしれないと思ったんだ。奇跡が起きて、信じられなかった。神様が奇跡を取り消さないうちに、とにかく早く届けちまおうと――」

 おれはジョニーに飛びつき、号泣した。

「うるさいな」

 階段から、白い絹のガウンをつけた男がおりてくる。
 マキシムだった。彼は大女優のような優雅な足取りで歩いてきた。主人の傍らに来ると、身をかがめてその頬にキスし、

「この汚いのがプレゼント? がっかりだな。返品してもいいですか?」

「こら」

 主人がうなる。「おまえがほしいと言ったんだよ。仲良くしなさい」

 おれは洟をすすってマキシムを見た。青い目がちらりと見て、

「薬殺されるんじゃ哀れだから、拾ってやっただけだ」

 と言った。
 彼はつまらなそうに部屋を出て行った。

「あの子がおまえを選んだんだよ」

 主人はおれに言った。

「クリスマス・プレゼントにね。おまえならいいと言ったんだ」

 彼は召使を呼び、おれに茶を飲ませるよういいつけた。あたたかいミルクティーを飲み、ようやく興奮が鎮まったところで、彼はおれに話した。

「マキシムは今年、二度ほど自殺未遂をしてね」

 主人は猫足の椅子に腰をおろして、言った。

「今年の春、ぼくに息子が生まれた。それで、捨てられると思ったんだね。そんなことはないと言ったんだが、とにかくここでは、何もすることがないだろう。彼は思いつめてノイローゼになってしまったようでね」

 主人はマキシムの気晴らしのためだけに、べつの犬を買って与えた。だが、マキシムはその犬を徹底的に無視した。犬のほうが弱ってしまい、売り戻さざる得なかった。

 主人が腹をたてると、マキシムは二度目の自殺未遂をした。

「彼をもろいと責められない。もろくしたのはぼくだ。完全な男だったものを叩きつぶしてペットにしたんだからね。だが、クリスマスはこまった」

 ただでさえ、クリスマス・ブルーの季節である。ドムスに独りで置いておいたら、絶対にまたやる。しかし、クリスマスはどうしても家庭に戻らねばならない。

 そこで主人はマキシムを成犬館に戻して、すこしほかの犬となじませようと考えた。ほかの犬といれば気もまぎれるだろう。気に入った犬が出来れば買い受けてやろうと思った、という。

 しかし、マキシムは脱走した。

「あれにはぼくも愛想が尽きかけた。愛情をためされて腹がたった。だから、首輪をはずした」

 そのおかげで、とかわりにジョニーが言った。

「中庭が大混乱になりました。わたしも投げられました」

 主人は優雅に笑った。

「だが、ぼくは責任をとったよ。全員に一番いいかたちで。そうだろう?」




「あ……ア、アワビ――。い、ヒ、い、イクラ――」

 マキシムの声がうわずる。彼は耳から受話器を離して喘いだ。

「アッ――くっ、ヒ、ヒロ、やめろ――」

「ほら、ちゃんと注文してくれ」

 おれは笑い、彼の鼻先にローマ字で書いた寿司の注文表を押しつけた。
 そうしながら腰をさらに突き入れる。ストローのように狭い彼のアナルをずくりと奥にえぐりこむ。

「ヒッ――」

 白い背が波打ち、かわいい声がこぼれた。彼は受話器を放し、床に爪をたてた。

「あ、あ……」

「注文しろって」

 おれは笑い、受話器をとった。受話器から日本料理屋のスタッフがしきりになにか言っている。

『英語でいいです。わかりますから英語で注文してください』

 おれはうっとりとマキシムの背を見下ろした。おれのペニスにぎりぎりまでひらかれた彼のかわいい尻を撫で、幸せをかみ締めた。

 主人はおれをドムスに入れると、翌日には故国へ戻ってしまった。
 おれはマキシムと残された。

 はじめ、彼は愛想が悪かった。

『買ってもらったのは、借りを返したかったからだ。わたしにかまうな』

 と、言った。

 おれはもちろん無視した。その晩、彼のベッドにもぐりこんで、彼を待った。
 マキシムは怒っておれをつまみだそうとしたが、彼はまずいことに絹のガウンを着ていた。おれはその襟をつかみ、ベッドの上に転がし、寝技をかけた。

「柔術ができるのか」

 マキシムははじめておれに興味を示した。

「柔道三段、空手二段。剣道初段。おれをびっこだと思ってなめんな。おまえをひっつかまえるのはわけないんだよ」

「おまえ、何をやってたんだ」

「警察官」

 そこから会話がはじまった。
 話してみると、マキシムは賢いが、素直な、うぶといっていいほどまじめな男だった。モスクワの中流家庭ですくすく育ち、射撃の大会でメダルをとった。そのおかげで軍隊に入って出世した。ますぐに生きてきたふつうの男だった。

 差別主義者でもなかった。

「あの時は誰も近寄せたくなかった」

 彼はさびしげに言った。

「誰かと親しくなれば、アクトーレスが注進にいって、伯爵が買い取るのがわかってた。そんなことで、ごまかされたくなかった」

 語り、胸のうちをさらすほどに、彼の声はやわらかくなった。
 おれたちはうちとけた。

 数日後、おれが辛抱たまらず、そのからだを組みしいても、怒りはしなかった。真っ赤になって、おれの愛撫にからだを開いてくれた。

 以来、バラ色の毎日が続いている。

「ほら、注文。大トロ」

 おれは彼の耳に受話器をあて、腰をすこし離した。彼があわてたように手をのばし、おれの足をつかむ。またけなげに頭をもたげ、ローマ字の注文表を読んだ。

「オ、オトロ……は、アは、カッ、カニ――」

 長い睫毛がかわいらしい。いつも雪のように白い頬が薄紅色に染まっている。たどたどしい日本語がいとしく、おれの太腿をつかんだ手がひどくいとしかった。

「くッ――アッ」

 マキシムは眉をしかめ、喘いだ。
 おれは彼の骨盤をしっかりつかんでいた。彼のなかのあたたかく弾力のある粘膜をゆっくりうがち、こねまわしていた。

「やめ――ハッ、あ――」

 床におしつけられたきれいな横顔がうろたえる。
 おれは彼の泣き所にペニスの先をこすりつけていた。石のように硬いペニスの先が、彼の感じやすい粘膜を執拗に揉む。撫でまわすごとに、彼はうろたえ、ぎくしゃくと腰を浮かせた。

「アアッ――、ヒッ、い、やめッ」

 密着した肛門が卑猥な泡をたてている。彼の硬い肛門がほどけていた。おれをぴたりと包み、とろけ、ふるえながら自ら甘美な蜜をすりつけていた。

「ヒロ――」

 彼はわずかに首を振った。もう注文できないという。
 その首筋は真っ赤だった。床は彼のこぼした粘液で水溜りができていた。
 その絶え入りそうな風情に、おれはカッとのぼせた。

 ペニスがいっそう硬直し、溶岩のように赤くたぎる。おれは夢中で腰を打ちつけた。

「くッ」

 マキシムの白い背がしなる。おれは彼のなかで躍った。跳ね回り、もぐりこみ、あたたかい海をイルカのように飛び回った。

「アアッ――ひろ――アはッ――」

 あたたかい海は揺れる藻のようにおれにからみつく。愛撫に泣きながら、千の腕でこちらの背骨を焼き尽くす。

「は。ヒロッ――!」

 マキシムの悲鳴。かたい腰を抱きしめると、彼は鞭打たれたように骨をこわばらせた。ビクビクとその骨組みがきしむ。

 手が温かいもので濡れる。おれもまた感電し、その内部を濡らした。

(ああ)

 全身の細胞がよろこびにふるえた。からだ中が黄金の雨に打たれて溶けていくようだ。

 獰猛な快楽の爪から解き放たれ、おれは数秒ぶりに息をした。からだの下で、やはり恋人があえいでいる。

 彼はおれを見ていたが、照れたように目をそらした。青い目はうるみ、唇の端には微笑みがあった。

 いとしさがこみあげ、おれは彼の首をつかみ、口づけた。

 メリー・クリスマス。サンタさん、ありがとう。世界中、メリー・クリスマス!

 頭の上で電話がまだしゃべっていた。

『ええと、ご注文、フランス語でも大丈夫ですよ。ええ、エスク ヴ パルレ フランセ?』


            ―― 了 ――



←第5話へ            2007.12.11




Copyright(C) 2006-7 FUMI SUZUKA All Rights Reserved